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テーマフォーラム5月討議内容

環境本位型社会を目指して

コーディネーター
高橋 真理子 朝日新聞科学医療部次長
基調講演「人間行動のミレニアム評価──持続可能な地球環境を探る」
ポール・エーリック スタンフォード大学生物科学部人口学教授/アメリカ

パネルディスカッション
ポール・エーリック スタンフォード大学生物科学部人口学教授/アメリカ
カトリーヌ・ド・シルギー 環境農学者/フランス
上出 洋介 名古屋大学太陽地球環境研究所教授
養老 孟司 東京大学名誉教授

基調講演「人間行動のミレニアム評価─持続可能な地球環境を探る」

ポール・エーリック氏

ポール・エーリック
(米・スタンフォード大学教授)
●科学者の警告をメディアは無視した


 人類が自滅への道をたどっている、と科学者は再三、警告してきた。人類の活動が環境や資源に取り返しのつかないダメージを与え、このままでは人類社会や動植物を危険にさらすと訴えてきた。そうした「診断」を下すだけでなく、危機の解消そのものにも科学が貢献できるはずだ。これから、その動きを加速させなければならない。
 インド洋の津波の悲劇。これもある意味、人間活動の結果だった。海岸はサンゴ礁やマングローブの自然の防衛線で守られてきた。それが働かなかったことが被害を大きくした。地上のサンゴ礁の27%、マングローブの35%がこの数十年で破壊されている。
 こうした関係をきちんとつかみ、私たちの行動が、どのように環境に問題を起こすのかを評価する仕組みをつくることが大事になってきた。それは、社会科学と自然科学が連携してはじめて達成でき、21世紀の最重要プロジェクトになる。
 各国の協力で、「人間の行動に関するミレニアム評価(MAHB)」の立ち上げを急ぐ必要がある。人口や資源問題に総合的に取り組み、文明が進む方向を変えるための道具立てにすべきだ。科学者以外にも倫理学者やビジネスマン、政治学者や政治家、公共団体の代表などの専門家が参加していけば、危機を逃れる方法は必ず見つかる。
 データを集め、議論に必要な事実を積み上げるのが、そこでの科学の役割だ。人類の公平性や権力の乱用といった解決の難しい問題についても、データに基づいた議論をしていく。それを続けていけば、環境に対し適切な人間活動のあり方が見えてくる。私のいるスタンフォード大は、最近、MAHBの試験的プロジェクトを立ち上げた。
 米国では、温暖化問題を直視しない人のことを「クライメート・モンキー(気候猿)」と呼ぶ。「見ざる、聞かざる、言わざる」で、日光東照宮の三猿ゆかりの言葉だ。もっと科学的事実に忠実であるべきだ。そして、その成果を的確に人々に伝えていく。それなくして、持続可能な社会の達成はありえない。
 この1世紀半、人類は遺伝的な進化についての理解を深めてきた。しかし、人類の行動のほとんどは、むしろ文化的な進化の産物ではないだろうか。ところが、文化的進化プロセスの解明は遅れている。その理解を深めるよう努めれば、進化の方向を変えるための方策が見えてくるはずだ。
 時が熟せば社会は急速に変化する。明治維新以降の、この日本の近代化が好例だ。21世紀は、私たち人類が、持続可能な社会へ進むための最後のチャンスだろう。

パネルディスカッション

冒頭発言(1)カトリーヌ・ド・シルギー (環境農学者。愛・地球博国際諮問委員)

カトリーヌ・ド・シルギー氏

カトリーヌ・ド・シルギー
●21世紀の「複雑さ」に対処するための3つの提言


 今世紀の科学あるいは科学者に課せられた役割について、三つのことを話したい。
 第一は、社会の変化に対応しなければならないということだ。この何十年かの社会の焦点は経済分野の競争だった。しかし今後は、生態とのバランスや、資源の再生能力を考え、自然が本来もっている浄化能力を超えない範囲での活動が最重要課題になる。
 エネルギーの無駄づかいや汚染物質の環境への放出を食い止め、人間活動による損傷から自然を回復させる。官民に適切な提言をしていくためには、独自性を保つ一方で、誰からも信頼される研究が求められると思う。 
 第二は、科学の方向性について、市民と政府の対話をもっと強化することだ。有能な科学者や専門家の判断だけを信頼していればいいのか。そこに市民はどのくらい関与できるのか・・・。
  とりわけ技術は、社会や文化、倫理といった枠組みで見なければならない。だから、一般の市民にも新しい方向性を理解できるようでないと意味がない。デンマークで始まった、科学技術に対する陪審制度ともいえる「コンセンサス会議」に注目したい。
 三つ目は、科学と伝統的知識の相乗効果を発揮させることだ。農業には何世紀もかけて蓄積されてきた農家の智恵が隠れている。万博の日本館では、伝統的な打ち水と光触媒技術を組み合わせた空調が使われていた。最新テクノロジーと伝統的技術の結合で解決できることは少なくない。
 「科学」は、科学者だけにゆだねるには重要すぎるし、国家任せでは危険が大きい。倫理観によるコントロールが、科学者自身と市民によってなされるのが理想。科学者は、市民や伝統的知識をもつ人々との協力を強化しなければならない。

冒頭発言(2)上出洋介(名古屋大学太陽地球環境研究所教授)

上出洋介氏

上出洋介氏
●地球環境問題の相手は宇宙である


 私が太陽だとすると、100メートル以上も先にある米粒サイズの球が地球で、地球は太陽の大気の中にいる。我々がそれに気づかないのは、地球の大気と磁場の両方に守られているからだ。
 地球の環境、たとえば温度とか水の存在とかは、人間の生存にぴったり合う。考えてみると、これは当たり前のことで、こういう環境に合うように人間が地上に生まれてきたわけだ。ところが、人間はそんなかけがえのない地球を壊す能力を持ってしまった。
 地球科学を研究する者として言いたい。地球科学は本来実験ができない。観測を通して地球が宇宙の中でどうなっているのか研究する、いわば受け身の学問だ。しかし、人間は気がつかないうちに地球全体を実験場にしてしまった。人工物を大量に放出したり、オゾンホールをつくってしまったり。
 ただ、地球環境問題のうち、自然がつくっているものもたくさんあることを忘れてはならない。たとえば火山が爆発すると、そこから出たガスが5年も10年も地球の周りを回り続ける。太陽で大きな爆発があれば、オゾンホールを拡大する。そういう自然がつくる地球環境の破壊と人間がつくるこのは、たぶん、半々ぐらいだと研究者は見積もっている。何でも人間のせいにするのは間違いだ。
 僕は地球学者として、「地球のことはほとんどわかっていない」と胸を張っていえる。よく知らないのに決めつけて、間違った方向に行くようなことがないようにしないといけない。
 そのためには、科学に戻ろうといいたい。20世紀は、科学を利用して次々に新しい技術をつくり、生活が非常に便利になった。この技術が環境を壊していることに気づかないできた。今やっと反省している。自然を理解する研究をどんどんしなければならない。21世紀は科学の時代である。

冒頭発言(3)養老孟司(「バカの壁」ほかで知られる解剖学者。東大名誉教授)

養老孟司氏

養老孟司氏
●環境問題とは人間問題である


 以前から、環境問題という言葉はあまり使わない。問題なのは、環境ではなく、人間がやったこと。誰がやったかというと、寝ている人でなく起きている人。つまり「意識」のある人がやったということになる。 
 人間が引き起こした問題である以上、いったい人間がどう考えるからそんな問題が起こるのか、という意識の正体から考えなければ始まらない。
 意識は、秩序的な活動であることにその本質がある。だれもランダムに言葉を話すことはできないし、乱数表を意識的に作ることもできない。眠っていると意識がない。脳が仕事をしていないのだから、意識があるときよりエネルギーを使っていないと思いがちだが、実際に測ってみるとほとんど同じだった。
 図書館に行く。調べものをして自分の頭は整理される。図書館の方は本が散らかり、棚はすき間だらけになって無秩序状態になる。閉館後、司書が元のところに本を戻すから、次の朝にはまた使えるようになる。寝ているとき、たぶん、脳の中で似たようなことが起きている。脳が片づけをしているから、エネルギーが消費されるのだ。
 外の世界に働きかけると、意識は一種の秩序を発生させる。その秩序は同時にゴミを生み出す。部屋の中を掃除する。部屋はきれいになるが、掃除機の中は前の千倍も汚れている。ゴミが移動したたけで、世界全体は、ほとんど変わらない。
 結局のところ、われわれ人類は、そのいたちごっこをずっとやってきたのではないか・・・。
 環境について具体的に考えるのはもちろん大切だが、その前に考え方をきちんと整理しておく必要がある。環境問題を片づけたければ、21世紀の科学は、従来とはまったく異なる考え方や前提に立たざるを得ない。

(朝日新聞05年6月7日付から)

討論

 高橋  エーリック氏は基調講演でMAHB、ミレニアム・アセスメント・オブ・ヒューマン・ビヘービア(Millennium Assessment of Human Behavior)について発言された。2000年9月の国連ミレニアム・サミット宣言のプロジェクトの一つであるミレニアム・エコシステム・アセスメント(Millennium Ecosystem Assessment)では、1300人以上の科学者が協力して地球上の生態系の現状評価と将来予測をまとめた。その報告書が今年の春に出されたが、それによると過去50年間に急速に生態系は変化しており、哺乳類や両生類の10%から20%が絶滅の脅威にさらされている、21世紀、これから事態はますます悪化するという内容だった。これは、残念ながらアメリカではほとんど報道されなかった。
 なぜか。記者の感覚で言うと、地球環境や生態系が危機的状況にあるというのは、もうニュースじゃない、何度も聞いているという意識が記者のほうにあり、国連がそういう報告書をまとめてもなかなかニュースにならないというのが現状ではないか。
 エーリック氏は、そこから一歩進めて、生態系のアセスメントではなく、大事なのは人間の行動、ヒューマン・ビヘービアである。ヒューマン・ビヘービアのミレニアム・アセスメントが必要なのだと言われた。地球環境よりもむしろ人間行動のアセスメントが必要だというのは、私はニュース性がある話だと思う。この非常に気宇壮大なプロジェクトが、〈愛・地球会議〉の朝日新聞万博フォーラムをきっかけにして世界に広がっていくことになれば、大変意義のあることだと感じながら聞いていた。
 これについて3人のパネリストの方々にお話しをうかがいたい。

高橋真理子

コーディネーター
高橋 真理子
(朝日新聞科学医療部次長)


 ド・シルギー  MAHBとはどういうものなのか。ネットワークなのか、組織なのか、プロジェクトなのか、それともこれら三つ全部なのか。私がこの組織、あるいはネットワークに参加することは可能なのか。それともこれは科学者にのみ開かれたものなのか。普通の市民は参加できるのか。

 エーリック  これはまさにあなたが加わりたいと思うような、けれどもまだ存在していない組織だ。社会科学者や経済学者も含めた科学者は、世界について一定の事柄を知っており、また、どの方向を目指すべきかを知ってる。しかし政治家や一般の人々は、その方向に行かない、あるいは行けないのだ。
 MEAは、科学者による生態系の状況についての研究と討論だが、私は、得た情報に関連して、人間はどのように振る舞うかについて、継続的な一連の評価を行うことが必要だと考えている。だからMAHBが重要なのだ。自然科学者、社会科学者、心理学者、また普通の市民も含まなければならない。人間行動にについての長い継続的な討論が必要だ。

 上出  あらゆる学問が環境に関係する。だが、むやみに学問をくっつけて文理融合環境学と呼んでいるだけでは意味がない。スタンフォード大のように、きちんとした議論のもとに意識的に組織化すべきだ。MAHBパイロット・プロジェクトでは、成果や議論の定量的な評価をしていると思うが、具体的な結果例を聞かせていただきたい。

 エーリック  この考えは1年ほど前に出されたものだが、例えば、The Journal of Economic Perspectives 誌の春季号に、世界で一番頭の切れると思われているノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローを中心に、経済学者と生態学者が各5名ずつ共同で書いた論文が載っている。論文の題名はAre We Consuming Too Much?(われわれは過剰に消費しているか?)”。これは私の知る限り、世界有数の経済学者も関わった「消費は過剰か、それとも過小かを評価する技術的な方法は何か」、などの問題を問おうとした初の論文だ。
 我々が見る限り、ほとんどの国は過剰に消費しているということだ。国も人も、工業生産された資本、例えば機械、自動車、建物などと、そして人的資本だけに頼っているのではなく、天然資本にも頼ってる。大気も、土壌も、漁業資源も、家畜も、石油も、みなそうだ。そして我々が国家の統計のなかでやってこなかったのは、こうした天然資本の減少を測定するということなのだ。

 養老  私は数年前に『人間科学』という本を書いたが、その基本的な考え方というのは、たぶん、言われていることとよく似ているんじゃないか。結局、人間の性質だから、それをどう考えるか。それから、環境問題も外部的な資源の問題が非常に大きい。私はそういうことについては具体的なデータを、まずためるしかないと考えている。
 例えば、テレビが子供にどういう影響を与えるか、ゲームをやったらどうなるかとか、携帯電話を使ったらどういう影響があるかなどだ。その種の議論は全部データなしで行われている。私はデータなしで行われる議論にはほんとうは参加したくない。いつまでたっても、それは暇をつぶしているだけになってしまう。
 環境問題もそれに近いんで、実際に我々が何をどれだけ持っていて、それをこういう形で使ったら最終的にどうなるかということは、きちんとデータ化できるはずだ。ただ、それはいろいろなところで具体的な問題が起こるので、つまり人間の場合、隠すという問題や、我々の能力が足りないという問題もあれば、嘘をつくという問題もある。しかし、例えば人間は何をするかということについても、きちんとしたデータを取れば、そういうことが常識になれば、随分ましになるだろうというふうに、実はかなり楽観的に思ってる。
 科学が一つ果たす役割というのは、やっぱりいろいろな意見が、例えば政治的な意見というのはしばしば感情的になるが、その根拠となっているデータは何だということを、絶えず追究することが大事なことだと思っている。

 上出  地球の歴史で、自然に起きた生命の絶滅というのは少なくとも6回あったということはわかっている。人間がいま、地球の環境を破壊していなくても、それぐらいの周期で人類もたぶん滅亡すると思う。例えば、この20~30年でわかってきたことだが、太陽活動が地球の温暖化に影響しているのではないか。太陽活動というのは太陽の黒点のことだが、太陽の黒点というのは、文字通り黒い。黒いというのは温度が低いということだ。温度が低いとき、つまり太陽が冷たくなると地球が暖かくなる。一見矛盾だが、だれもまだ原因がわかっていない。
 だから、私が言いたいのは、人間がこういう悪いことをしているんだというのは、確かにそうだが、自然がいまの地球環境の問題の何割か、多分半分ぐらいをつくっている可能性があるという研究をどんどんしなければいけないということだ。

 養老  結局、炭酸ガスで温暖化しているのかどうか根本的にはわからない。
 そんなことはいいんで、みんながどういう社会を要求しているかという問題だ。例えば環境問題に配慮してさまざまなことを遠慮しなさいと言うと、それを嫌がる人と、喜んでやる人とがある。だから、結局は人間のほうに戻ってくる。

 高橋  環境問題、いずれにしても、CO2と温暖化の関係はよくわからないという話が出たが、CO2の濃度が急激に上がってきていること、これはもうデータで裏づけられていることで、人間のさまざまな経済活動の結果、CO2が、20世紀後半、急速に増えてきている。それを解決しようというのが京都議定書の精神だ。これを解決するのに経済的な手法を取り入れることについては、いろいろ議論があるが。

 エーリック  経済は常に考慮されなくてはならない。たとえばガソリン税は既に存在している。メカニズムも既に存在しており、これがもし悪いアイディアであるということになれば、法律を通し、取りやめればよい。経済的メカニズムは動機を正しい方向に向けるだけではなく、その結果もわかりやすい。

 ド・シルギー  経済の問題はとても重要だと思う。フランスには“Nous pouvons utiliser la carotte ou le baton”ということわざがある。英語では「You can use carrots or sticks (あめとむちを使うことができる)」という意味だ。あめとは、たとえば補助金。むちとは、たとえばガソリン税、あるいは家庭ごみ、廃棄物の税金などだ。だが代案も必要だ。自家用車に代わるものがなければどうしたらよいか。税金も必要だが、公共輸送手段を開発することが重要だ。また廃棄にしても同じだ。再利用、リサイクルシステムの確立、包装の簡略化などが必要だ。複雑ではあるが、情報と代替策によって経済システムが開発されることも重要なことだ。

 上出  地球環境問題の相手は宇宙であるはずだ。この製品は「地球にやさしい」と聞けば、喜んでそれを買う人がいっぱいいるし、その会社の企業イメージもいいわけだ。だが、それを繰り返していても地球環境問題の本質ではない。

 高橋  21世紀の科学、なにが大切かについてご意見をうかがいたい。

 ド・シルギー  全てが重要だ。科学技術も社会科学も重要だと思う。

 上出  たしかにすべてが大事だ。しかし、ちょっと注意しなければならないのは、例えば、一部の科学者が環境対策について何か提言らしきことを言ったら、世の中がそれに基づいてドドーッとその方向に走っていって、それがもし間違った方向へ行ってしまったら、もっともっと地球は悪くなる。地球科学者として私が今言えることは、地球のこと、太陽と地球の関係のことは、ほとんどまだわかっていないということだ。「地球にやさしく」というが、地球にとったらありがた迷惑かもしれない。よく知りもしないで、やさしくしているつもりでいるだけという可能性があるということを、常に考えなければいけない。

 エーリック  我々の文化、つまり、遺伝子情報以外に関してだが、情報の半分以上は科学とテクノロジーだ。私たちが好きか嫌いかに関係なく、それは事実だ。
 我々の多くは科学に対して無知だが、アメリカの大統領は進化論についてなにも知らない。彼は創造論者なのだから。これは地質学的に、地球科学でいうと、地球は平らで太陽は地球を回っているということに相当する。地球科学や生物学や医学などの難しい問題に直面するなかで、これらの情報をまったく持ってていない人たちが平均的に多いということだ。またこれをきちんと教える機関もない。これはとても危険な状況だ。21世紀がうまくいくためには、もっと人々に科学のことを学んでもらわなければならない。
 そして、社会が物事の決定を下せるようにすることが必要だ。科学者には決められない事があるからだ。地球温暖化による大災害のリスクを10%から5%に減少させるにあたって、いくらなら支払う価値があるか。これは科学的な解決というわけではなく、公開討論を必要とするものだ。しかし人々が地球温暖化と何が関わっているのかを知らなければ、この論議をするのも意味がない。
 科学は、どういうことが起きるか、あるいは起きないか、予測を提供してくれるだけだ。何をすべきか、という問いに対する答えは、一般社会から来なければならない。

 ド・シルギー  グローバル化を食い止めなければいけないし、自覚を持った市民になる、つまり、教養を持つようにならなければならない。アメリカにおいて、もし多くの人々に教養があったら、ブッシュには投票しなかっただろう。50%以上の人がブッシュに投票したのだから、これは人ということではなく、政府だが、世界的な問題だ。若い世代、および一般の人々を教育するというのはどういうことかというと、これはただ受身の教育ではなく、受身の消費者のままで情報を宣伝や新しい小道具などで得るのではなく、本当に積極的な消費者にならなくてはいけない。積極的に情報を得る消費者、即ち、討論や新しい組織のためのネットワークを作る、世界的な新しいネットワークを作るのだ。消極的ではなく、積極的な市民になる。時々は活動家に反抗することかもしれない。これは私にとってのキーワードだ。

 上出  MAHBの活動に限らず、僕が強調したいのは、科学と技術という言葉が二つあることだ。科学技術と言うが、それは科学と技術、アンドなんだ。科学と技術、違う目的を持ったものであるということ、そこからいろいろなところに議論を広げるべきだ。
 例えば万博のオープニングセレモニーで、科学技術という言葉が連発されるのを聞いた。これらの政治家の頭のなかでは、科学技術というのは、端的に技術のことであると思っていると想像する。科学的な技術、あるいは科学をフルに使った技術、といった意味だ。けれども、科学というのは、発明、工夫の技術とは違う。地球環境、あるいは地球とはいったい何であるか、生命とは何であるかについて、ほとんど我々はわかっていないわけだ。わかってないのに、技術で何か手当てをしようとしてはいけない、それだけは言える。
 「地球にやさしく」という言葉がある。それは「人にやさしく」としたほうがいい。人類がここでしっかりと認識しなければいけないことは、地球はぎりぎりで生きているということだ。太陽の大気のなかに、たまたまできた小さな空洞のなかに住んでいるんだと。戦争なんてやっている暇はない、その一言だ。

 養老  自然環境って何だと私はよく思うが、自然環境と言っている人でも、おそらく自分が住んでいる世界をほとんど丁寧に見たことはないだろうと思っている。まず、そこからだ。私は『いちばん大事なこと』という環境問題の本を書いたが、もし、つけ加えるなら、若い方には、特に自分がどういう社会を生きたいか、それをしっかり考えてほしいと言いたい。

(asahi.comから抜粋)