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EXPO 2005 マザラ・デル・ヴァッロの踊るサテュロス

Comunicato Satiro Danzante

2004年11月1日


プラクシテレス作とされる紀元前4世紀の傑作踊るサテュロスは、稀有な出来ばえのブロンズ像です。2005年3月25日から9月25日まで日本において開催される愛知万博に設営されるイタリアパビリオンの主役、シンボルとして選ばれた理由としてはこれで十分かもしれません。

しかし、サテュロスは傑作を超えるものです。まず何と言っても、複製ではなくオリジナルです。当時の壺やフレスコ画に描かれたサテュロスの姿は、おそらくこの繊細で活き活きとしたブロンズ像の影響を受けて表されたものと思われ、当時から人気のあった有名なモデルであったということが言えます。

第2の理由として、フランコ・バッティアート(パビリオンのサウンドトラック担当)がいみじくも“脊柱上を回る”アナトリアのダービッシュに例えたように、サテュロスは渦巻き状の動きを表現した像です。

私たちの知る古代の見事な像の数々は通常、静止したポーズをとっています。ナポリ国立博物館に素晴らしい複製が展示されている円盤投げ選手の像でさえ、もちろんバランスがとれた荒々しい動作に向けた爆発寸前の力の印象を与えはしますが、動きというものを表現してはいません。それに対しサテュロスは純粋な「動き」、底抜けの幸福感、生命力、人間界から神の世界への移行の瞬間そのものなのです。こうした理由から、イタリアパビリオンのテーマである“人生のわざ”、すなわちイタリアン・ライフスタイルを体現していると言えます。

サテュロスが重要である3つ目の理由は、その“地中海性”です。マーレ・ノストゥルムとも呼ばれる地中海の文化は、像を輸送中の船が難破した時代には、均質ではありませんでしたが、すでに強くつながり合っていました。地中海沿岸の諸文明間には強固な相互関係があったため、シンボルは共通もしくはだいたいにおいて似通っており、同種の美的基準が受け入れられ、同じような儀式が執り行われていました。

4つ目の理由は、2度にわたってシチリアの海峡から引き上げられたことによります。1997年には脚が、そして翌年には胴体が発見されました。この“網で”引き上げられたこと自体、奇跡的なものがあります。しかしさらに特筆すべきは、中央修復研究所で働く世界的に有名な専門家の手により4年間にわたって行われた、複雑な修復作業です。イタリアが世界に誇る最新テクノロジーを利用したこの忍耐強い作業は、世界で大きな関心を呼びました。愛知万博イタリア政府代表委員会の承認を受けた、日本への像輸送に際するリスクを最低限に抑えるべく工夫を凝らした機材もまた、興味深いものです。

5つ目の重要性の理由としては、サテュロスが政治的に果たす役割が挙げられます。米国人のバラード氏によるものに代表される外国人の侵入を前に、いまだ海底に眠る共有の考古学的財産保護に関する地中海沿岸諸国の合意を促したのは、まさにこのサテュロス像の発見であったのです。